95点【Netflix「このサイテーな世界の終わり_シーズン2」感想/レビュー】サイテーでサイコーな関係

  • 11月 10, 2019
  • 11月 10, 2019
  • dorama
Netflix公式サイト


Netflixが贈るブラックコメディ「このサイテーな世界の終わり」のシーズン2が配信スタートしました。

シーズン1を視聴し始めた際には、主役である二人、ジェームズとアリッサのクセが強すぎ(笑)序盤は苦しみながら見てましたが、徐々に二人の不器用さやその中にある純粋さに魅了され、終盤にはすっかり二人を愛おしく感じてました。

なので、このシーズン2をめちゃくちゃ楽しみにしていた半分、大丈夫かなという不安もありました。

しかし、そんな期待と不安は見事に吹き飛ばされ、食い入るように一気見をしてしまいました。

個人的には1よりも好きかもしれません。

こんな人におすすめ

  • シーズン1が好きな方
  • いわゆるブラックコメディに抵抗のない方
  • サスペンス好きの方(今回はけっこうどうなるんだ!?というシーンが多い)
  • 音楽とか景色はめっちゃおしゃれです


あとは当たり前ですが、シーズン2から見てもわけがわからなくなりますので、1の視聴を必須ですね。
グロイシーンもそこそこあるので、その辺は注意です。

この記事はネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

あらすじ

あらすじは以下です。

戦慄のロードトリップから2年。過去から逃れるように、新たな生活に突入しようとするアリッサ。そんな中、深い恨みを抱く1人の女性が、血生臭い報復劇を企てる。

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上記のあらすじにあるように、1話はシーズン2の重要人物であるボニーのシーンから始まります。
ボニーは、シーズン1でジェームズが殺めたクライブに恋をする女性の一人で、幼少期から家庭環境に問題があり、「愛」を受けて成長することができませんでした。
そんなボニーは愛するクライブを殺めたジェームズとアリッサに復讐をしようとするというのが、シーズン2の大きな流れの一つです。

一方で、アリッサと一命をとりとめたジェームズは、事件のあと会うことが許されず、アリッサは叔母の営むカフェで働きながら新しい生活を、ジェームズは銃撃されたことで大きなダメージを受けながらリハビリをしていました。そして、アリッサが結婚を翌日に控えた日の夜、ついに二人は再開します。


シーズン2はこの二つのストーリーが交じり合いながら進んでいきます。

作品の雰囲気は変わらず最高

シーズン1を経て、ジェームズは以前のようなサイコパス感はありませんし、アリッサのジェームズへのコミュニケーションも以前とは異なります。

ただ、いい意味でオールドで味のある、本作の音楽やファッション、景色は変わっておらず、これがツボです。

あとは、シーズン1よりも、作品全体の不気味さみたいなものは少し緩和されており、個人的には見やすくていいなと思いました。

ちなもにサウンドトラックはSpotifyで聞けるのでぜひぜひ。
エンディングの「The End Of The World」が何ともいえない良い空気感を醸成します。

何かしていないと生きれいられない

もともと、この世界に退屈を感じていたアリッサとジェームズは、シーズン1では違う世界に行こうと必死に進みます。その中で、殺人を含めた多くの出来事があり、退屈を感じる瞬間などなかったと思います。

対照的に、シーズン2冒頭でジェームスを失い、叔母の家に引っ越したアリッサは何もすることがありませんでした。作中でアリッサが言っていたように、「何かをしていたい」という想いからバイトを始め、婚約相手に出会い、虚無を消そうと進んでいました。

同様にジェームズにもその瞬間が多々あり、父親を失った際には、アリッサを探しに行き、アリッサを失った際には、父の埋葬場所を探しに行きましたよね。

特に何もかもを捨てて飛び出したアリッサとジェームズであればなおさらこの虚無を強く感じやすいのかなと思います。


これは現実に生きる僕らも同様で、仕事や恋人、酒や地位など何かに夢中になり、心の中に眠る虚無を感じないように生きています。ふとした際に訪れるその虚無は本当に怖く、寂しいものです。


自分も、そんな虚無を感じないくらい想える家族や仕事、友人を大切にしていきたいと強く感じました。

罪の共有


よく究極の愛とは?という命題に対して、「罪の共有」という言葉があげられます。
東野圭吾さんの「白夜行」や湊かなえさんの「Nのために」などでも、罪の共有は究極の愛だと主張しているように思えます。

本作でも、ジェームズとアリッサは罪を共有しており、二人の関係は特別で強固なものです。
結婚を目前にして、アリッサが飛び出したのは、やはりジェームズの存在があったからです。


ただ、相手のためならどんなことであってもするという想いは「ジェームズとアリッサ」と「ボニーとクライブ」の関係において共通であり、殺人という同じ罪を犯しましたが、結末は全く別のものでした。

なので、罪の共有が究極の愛だとは思っていませんし、何が愛なのかなんて、わかる気もしません。



ただ、ちぐはぐで素直になれなく、客観的には間違っていることばかりしてしまうが、相手のことを本当に想っているこの二人は、サイテーだけどサイコーの関係だなと思いました。


きれいな景色のもと、二人が結ばれる今回のエンディングはグッときました。

さいごに


やはりドラマの醍醐味は、物語の中のキャラクターに強く感情移入できることだと思います。
このサイテーな世界の終わりは、そんな感情を抱かせてくれる数少ない作品です。